徳力本店が
タマゴだったころ。
徳力本店の草創期は、今をさかのぼること約三世紀。江戸で両替商を営んでいた当主の徳力屋藤七が、享保十二年(1727)、徳川幕府の命を受けて新たに金銀の改鋳業を始めました。時の将軍は、享保の改革で財政の復興に努めた八代吉宗公。この時、吉宗公によって登用された江戸町奉行の大岡越前の守(忠相)より地金商がひとつの組合団体として正式に認められ、画期的な歴史の一コマとなりました。徳川吉宗と大岡越前。TVドラマや映画等でも親しまれてきたこの歴史上の人気者は、徳力にとってもゆかりの深い人物だったのです。また徳力屋は両替商というまさに”庶民の金融機関”を営んでいたことから、金銀を溶解、分析する技術をこの頃すでに保有していたようです。
この後大きな転換点を迎えるのは、明治三十三年(1900)のこと。それまでの質・両替商を廃し、享保以来の伝統を生かして貴金属地金の売買、精製・加工、装飾品や工芸品等の製造を開始しました。当時としては時代の先を見越した新しい業態であり、ここに今日の徳力本店の原型が生まれることとなります。