時代の山をこえ、
谷をぬけ。

新たな業態をスタートした明治後期は、金本位制の確立や日清・日露戦争を背景とした需要増が徳力本店にも多大な力となっていきます。そして大正時代に入ると、わが国の鉱山精錬所や造幣局等に先駆けて、金の電解精錬法を自力で開発、金供給の拡大に貢献します。
徳力本店では、当時の額で一日二万ドルの米国金貨を純金地金に精製する高い能力を有しており、日本銀行をも驚かせたといいます。大正期の徳力本店は、地金の売買を中心に装飾品も多く受注しており、そこに打たれた徳力の刻印が『品位は絶対確実』という信用の証として全国に浸透したのもこの頃のことでした。
大正十二年(1923)には、関東大震災によって社屋・工場を焼失。この災禍を乗り越え昭和九年(1934)、「株式会社 徳力本店」が発足。法人組織となり、わが国初の金電解精錬を工業化。電気、通信、計測機器など貴金属工業用品の製造を強化しました。ところがこの後の大戦によって、本社や工場が再び被災。戦後もさまざまな統制監視のもと厳しい冬の時代を耐えることになります。